忍者ブログ
創作ごった煮
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


1話
2話







ヒメナの後継は、数人がかりでようやく形になろうとしていた。
今やこの国屈指の大店であれ、畳むことすら視野に入れたが、この分ならば誰にも邪魔されない二人の空間へ隠居することはできそうだ。慣れ親しんだ魔法石だけは心残りだけれど、それにはそれの活きる場所というものがある。我が子でさえ独り立ちをする、石との別れはずっと気楽にすべきだろう。
転居先は小ぢんまりして、端と端でも声が届くほどだ。ほんの小さな魔法石で事足りる──と、高級な魔法石の購入を考える程度には贅沢にも慣れたが、ヒメナも生まれは只人。使用人なくとも日常生活は可能に違いなく、真実二人きりを夢想しては胸を高鳴らせていた。その後の話をレオカディオと何度も繰り返した。
レオカディオも、ヒメナさえ居るならばどんな未来でも幸福に違いなかった。他の誰もが怯え叫ぶ己を、唯一愛おしんでくれるひと。
二人の想い方は違えど、互いに互いを得難く失い難い存在であると思っていた。
正に運命。正に蜜月。胸の高鳴りと安堵が向き合い、絡み合う。
充足の日々だった。安息の日々だった。空いた胸を塞ぐ、満たす、それだけの。
この店にこそレオカディオに意見するものはないが、美しいヒメナに懸想していた男たちは何度も二人を引き離そうと画策した。ひとり残らず呪いの仮面の恐ろしさに慄いて去って、それでも未だ我こそはと訪れる者は絶えない。

俄かに階下が騒がしくなって、ヒメナは膝上のレオカディオの目を覆っていた手をのけた。窓の外から声がする。
そこまでは物珍しくもなかったが、今まで聞いたこともない、それも女の声とあっては何事か。記憶にない甲高い声は、この国の言葉をずれた発音で叫んでいた。
レオは半身を起こし、窓に顔を向ける美しい女に行動を促す。隠居を予定していても、未だ彼女は店主である。問題の把握は必要だった。
慣れた対応に、紅色の唇を弧にして、すらり立ち上がる。面格子の隙間から見下ろすと、布を被った二人組が騒いでいるのが見えた。薄茶けた布は汚れ、旅のあとが伺える。
上から見るのでは、二人の顔立ちどころか髪色さえわからない。大人が二人跨がれる、牛のような大きさの獣も連れていた。背中に乗った荷が四角く積まれ、鉄の鞍が付けられているのは、この国の様式とは異なる。その獣自体、この国にはおそらく生息していないだろう。牛より毛足が長く、山羊のような面立ちの白色は、国内に居たならばヒメナがかつて心動かされるものを探していた当初に見せられるべきものだった。
かれらが客であるなら、「厄介な」と接頭につけるべき相手だ、とすぐに知れた。仕方ない。
窓から距離を置く愛しい相手をそっと撫で、ヒメナはおっとり眉を下げた。

「すこし、話してくるわね。」

あんな生き物が居たのでは、客が中へと入りづらい。騒いでいるなら尚のこと。店主の立場をもってして、窘めなくてはなるまい。
部屋を出たヒメナを見送って、レオカディオは顔にもう一枚布を被ると窓に寄った。常人ならほとんど人影しか認識できないような視界は慣れたもので、コツを掴めば色もわかる。内の形さえ見えないよう布を重ねれば、下からこちらを見ても背筋を粟立てるが精々だと知ってもいた。
悠々の足取りをした唯一を、上から見守る。彼女になにかあったなら、危険があるならこの界隈を阿鼻叫喚で満たしたとしても向かうつもりだった。諦めた希望を、再度失うことに耐えられないから。
騒いでいたらしい影のうち、ひとつはずいぶん小柄だった。おそらく女か子供、もうひとつより前に出て言葉を交わしていることから女だと思われた。大きいほうがこの国の言を話せなくとも、子供はせいぜい通訳で、交渉や会話はしないだろう。
会話を聞き取るには遠すぎるので、レオはヒメナを気にかけつつも視線を移動させた。彼女が居るときは見ることのない外の景色、未だ見慣れない町。都会だというのに、この国の道は田舎のように剥き出し。建物は木で造られており、夜に赤く光る魔法石の明かりが丸く沈黙し連なっている。行き交う人々も、そして立ち止まって見慣れぬ獣らを見る人々も、皆バスローブを固く着付けたような格好をしていた。
これほど違っていても、ヒメナ以外の人間は己を、呪われたこの姿を恐れる。文化も生活も同じものはないのに、恐怖はどこでも同じ姿をしているらしかった。
二人組の、小さいほうが布を落として頭を晒した。波打つ桃色の髪が溢れる。やはり女だった、あの髪色なら自分の生まれと同じだろうか。レオカディオが思うのはせいぜいそれくらいで、獣を裏に連れて行くこの店の男と付き添う旅の一人を見送ったあと、建物に入るヒメナを確認していつもの位置に戻った。布も一枚減らし、いつ彼女が戻ってきてもいいようにする。すぐに戻ってくるはずだ、この部屋に、彼のそばに。

いつもならば。

レオカディオが注いであった白湯を飲み干し、魔法石の力で温度を保つ保温釜から注いだ分が水になっても、ヒメナは戻らない。突如仕事が舞い込んだのだろうか?それとも先程の客が、中でまだ厄介ごとを?
それよりも最悪な想像もひとつ。彼らが異国の行商で、己よりもっとヒメナを惹きつける何かを持ち込んだとしたら?
こんな、誰からも嫌われ恐れられる悍ましい仮面を付けた男に、今まで向けてくれていたあの熱──あれを、まさに今、失おうとしているのではないか?
想像するだけで心の底が冷えるようだった。他の何を失っても、あれだけは失いたくない。もう自分には彼女しか居ない。他人に与え続けてきたそれを、今度は彼が味わわされていた。
今すぐにでも様子を見に行きたい。けれど、顔を見せれば辺りは混乱に包まれるだろう。仮面さえ見られなければそこまで恐慌を齎すものではないのだが、彼らはもう知っている。知られてしまっている。一度覚えたものを、人はけして忘れない。
怯えられ、混乱を起こしながら行ったその場所で、ヒメナに「もういらない」と言われてしまったらどうする?レオカディオは自問した。もう充分だ、と、別の場所へ連れていかれるのには慣れているのに、あれらとヒメナは違うから、想像しておかなければ耐えられない。いつだって、ほんとはあれらと彼女が同じ現実を想像してしまう。

戸の前でうろうろするレオカディオは、檻の猛獣そのものだった。とすんとすんと小さく立てる音は、閑散とした廊下で聞く者もない。
何度か戸に手をかけたが、やはり開ける勇気は出なかった。項垂れながら元の位置について、ヒメナがするように赤い魔法石を撫でた。彼女と同じ、レオカディオより少し高い温度。彼の生まれ国では、魔法石といえば手に乗るほどがせいぜいで、これほど立派なものは国にひとつかふたつあるかどうかだろう。
彼女は、こんな逸品を手放すことになってでも、己とふたりの生活を考えたのだ。そう思えば、手放される未来が遠くなるように思えた。
躊躇う時間も、魔法石に思いを馳せる時間も過ぎて、それでもヒメナは戻らない。待つのは得意なはずだった、何も考えず、頭の中を白色の壁で遮って。焦れる、けれど、同じ待つなら今のほうがずっと良かった。


桃色の髪がひらひら揺れて、ヒメナは髪質の違いは人種の差だろうか、なんてぼんやり考えていた。
早口に、区切りや音程を違えた言葉を捲し立てられても理解できない。彼女はこちらの言葉で話しているはずなのに、内容を聞かせる気はあるのだろうか。
客人の名はモニカと言った。連れの男はリッド、揃った名前は間違いなく、レオカディオのかつての友のもの。呪いの仮面を解放し、彼とヒメナを巡り合わせたきっかけを生んだ、その当人。
感謝しても良いようなところ、ヒメナはただ煩わしさを感じていた。モニカの言葉はほとんど聞く気にならないまま、繰り返される同じ言葉のおかげで概要だけは理解した。
目的は、レオカディオを連れ帰ること。曰く彼女は哀れな彼のため、東奔西走して知識を掻き集め、とうとう仮面の呪いの解呪方法に辿り着いた。人は所有物でないのだから、解放するべきだ。レオカディオに会わせろ、自分が彼にやったことの責任を取り救うのだ。
彼を見世物として『展示』していたとは思えない、ずいぶん身勝手な話だった。目の光る美少年が身の毛もよだつ仮面の子供になって、手を放し売ったのはそちらだというのに?
美しいかんばせに嘲笑が浮かぶ。くっと吊り上がった赤いくちびる。気怠げに脇息に凭れ、ヒメナは垂れた黒髪で片手を遊ばせた。リッドが黙ったまま小さく唾を飲み込む。気圧されかけたモニカは言葉を止め、それでも気の強い瞳で睨みつけた。

「会わせるつもりはないわ」

あてつけるように、丁寧に音を紡ぐ。

「どうしてよ!?」
「あの子は私のもの、貴女がどう思おうとね。私の所有物よ。貴女に会う資格はあげない」
「独りで閉じ込めて生きさせるつもり!?」
「独りじゃあないわ。私が居るもの。」
「レオはもっとたくさんの人に愛されて生きられる!昔はそうだったもの!彼は愛されて、そうやって生きるべきなのよ!」

吊り上がった瞳は、愛らしく潤む。モニカは子供だった。子供だったから、恐怖をより濃く感じたのだ。そして、今も子供だ。
目を眇める。確かに彼女に苦労の色は見て取れた。色白な人種のわりに肌は焼け、そばかすが散って、薄らと傷痕も残っている。髪もずいぶん傷んでいた。丁寧に磨き上げられたヒメナとは真反対の女。すべてが真反対の。

「たくさんの人に、ね。代わりの利く『たくさん』なんて、それほど価値があるものかしら?彼が居なくなっても変わらず日々を過ごせる人々と、手放せる貴女と、比べられると思うの?私を?」
「あなただって何でもよかったんでしょう!?わたしはレオが欲しいの、ずっとレオのことを考えてきたの!返してよ!」
「何でも良くたって、私にも彼しか居ないのよ」

呪いの仮面を付けたレオカディオ、彼が、その存在が初めて彼女を震わせた。心動くことの何ひとつない日々を変えた。後悔と希望ではいつだって後者が正しい。呼気が燻る。
話し合いの場を設けてみれば中味はそれほどのこともなく、丁度良く茶酒を持ってきた少女に微笑みかけた。鮮やかな朱色の帯を床に垂らして少女はヒメナに従う。

「それは片付けて頂戴。もう御帰りになるから。」
「なっ、まだ話はついてない!レオを出しなさいよ、レオだって自由になりたいはずだわ!」

首輪を外されるとわかって、檻に踏み入ることを許す飼い主がどこに居るだろう?
ヒメナは微笑んだ。全てを受け入れる慈愛深さに見えるのに、拒絶を示す完璧な微笑み。持ち上がった口角、厚い唇が柔らかに音を紡いで、誰かがごくり喉を鳴らした。誰かはモニカであるかもしれなかった。

「旅の疲れを癒すのなら、他の店を紹介しましょう。折角だから、この国にしかないような『見世物』でも買っていったら如何?」

モニカの頭にかっと血がのぼる。浅くなった思考で血とともに立ち上がって、拳を握り部屋を出る。勇んだ足は床を踏み抜かんばかりだったが、ヒメナは別の予感に眉宇を寄せた。朱帯の少女に目配せし、彼女は背を向けさっと姿を消す。
桃色を追って、リッドも立ち上がった。モニカは帰路でない方向に向かった。

「お帰りは、そちらじゃあないわ」
「わかってるわ、でもこっちが上でしょ。会わせてくれないなら会いに行く、それだけよ!」
「あまり強引だと憲兵を呼びます。貴女方は強制送還、レオカディオは私のもとに残る。それでもよろしいの?」
「憲兵が来る前にすべて終わらせればいいんでしょ、──リッド!」

無遠慮な足取りをしとやかに付けるヒメナのさらに後ろ、流れる黒髪を追っていた青年が顔を上げる。振り返った店主のぬばたまから気まずそうに顔を背け、しかし命令には従うべく首に吊った親指大の笛を咥えた。躊躇いに一時息を止めて、二人の女に視線をやり、強く目を瞑って息を吐く。
何れの人の耳にも音は届かない、表から駆けつける警衛にすら。
聞き咎めたのは一体。山羊のような面立ちの白色。
繋いだ柵を壊したか紐を引き千切ったか、とにかくそれは裏手から飛び出し戸を破って、板を傷つけながら廊下を駆けては一目散に呼び寄せられた。他の客も従業員もない、騒然とした気配は店の地下にまで届いた。
上階目前の奥座敷、客の案内は少なかったのに騒動に釣られ幾人も足を向けてくる。上からの足音もあった。こうなれば、異国人らを責めるよりまず客を落ち着かせなければならない。騒ぎに乗じて目的を達せようとしているとわかっても。
暴れるものが人ならば、店の優秀な警衛はすぐさま取り押さえたろうに、唸り声をあげるのは見知らぬ奇怪な大獣で、戸惑いに足が鈍る。
モニカは満足げに階段へ足をかけた。二階へのそれは人が三人ゆうに並べる幅で、小さくきしり音を立てた。



PR
この記事にコメントする
Name
Title
Color
E-Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
ブログ内検索
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
プロフィール
HN:
花 しみこ
HP:
最新コメント
アクセス解析

Template "simple02" by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]