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創作ごった煮
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前話






ヒメナの店は、地下一階と地上三階のおおよそ四階建てになっている。レオカディオの部屋はヒメナと同じ最上階、日当たりの良い表通り沿いに決まった。彼を外に出すつもりはないので、賑やかな街がせめてもの慰みになればと言うのである。
しかし明るい筈の部屋は、レオが頭の覆いを外した瞬間から異様な暗さに満ち満ちる。なんの邪魔もなく見つめていたいヒメナは、彼を買ってからすぐに布を取り払わせたのだが、時が過ぎるほど部屋の空気は重くなり、扉越しにも声を掛けられるものが居なくなった。
その上、全面を覆う面格子が付いている三階の窓だと言うのに、ふと顔を上げた表の通行人が恐慌に陥り失神した。この世の邪悪が凝り固まったような仮面を曝していてはならない、と、訴えられたヒメナもしぶしぶ受け入れた。
妥協案として、今は顔の上半分に黒い布を垂らし覆っている。仮面がちらりと見えようものなら周囲は阿鼻叫喚の嵐だが、一枚黒布があるだけで大分変わる。具体的に言えば、一瞬で恐ろしさに呼吸を忘れ震える心臓が血管をざわめかせ矢も盾もたまらず叫び白目を向いて失神する、というのが、意志の強い者ならばなんとか逃げ出さずにいられる、という程度まで。おかげで廊下は垂れた冷や汗のしみが取れなくなってしまった。
これ以上は譲れない。なんなら全て売り払って、気兼ねなくこの胸の高鳴りに身を任せられる環境にでも引き籠ってしまいたいが、ヒメナの後継はまだ育たない。大きく育ちすぎた樹を掘り返せば穴が残る。店を持たなければよかった、などとは冗談に尽きるけれど。だって、でなければレオを買えなかった。これほど心震わせた買い物は生涯ほかにない。
見るたび、触れるたび心臓が早鐘を打つ。人々が感じているという恐怖なんてものは、どこから湧いてくるのだろう?ヒメナの心の内は、まったく恋と呼ぶに相応しく、緊張や高揚で埋まる。生まれてこの方、初めて感じるそれら。いつもと違うことが楽しい。
恋とはどんなものかしら、ららら、なんて昨今よく聞く古い歌謡曲を思い出す。恋とはどんなものかしら、あの人のことが気になるの。
まさにその通り、ヒメナはずっと気になっている。今どうしているのか、ここまでどうしてやってきたのか?
ある程度ならば知っている。あの肥った商人が説明していた。なんでも南の国の見世物一座サーカスを転々としていたが、あまりにも恐ろしいためついに見る者も居なくなり、商人の元に来たのだと言う。
仮面のせいで話し相手の居なかったレオカディオは、せっかく付いた口をほとんど開かない。だからヒメナは何度も彼に話を強請った。美麗な口元に似合いの落ち着いた声は、きっと彼の面さえなければ幾人もの女の胸をときめかせていただろうに。
雨樋の水滴と似て、ぽつんぽつん、細切れの声は痛いほど高鳴るヒメナの心臓をいつも少し落ち着かせた。

「今日もあなたの話が聞きたいわ、レオ」
「ええと、じゃあ。西国の……」
「できれば、貴方がその仮面と出会ったときのこと」

にこりと笑顔にしばし逡巡。細い指先がしっとりと仮面の線をなぞる。他の誰もが手を伸ばさないそれを中指が、人差し指が辿って、名残惜しげに離れてまた輪郭に触れる。
しな垂れかかる嫋やかな身体。甘い香りがする。凄艶な彼女の氷肌は人離れしているのに、布の向こうで熱を放っていた。
そもそも買われたレオカディオに、拒否する権利などない。どれだけ言いたくなくとも。そうでなかったとしても、ヒメナが望むのならば。
彼が喜ばせられるのは、今やヒメナだけなのだから。
記憶は彼の奥底にしまいこまれている。あまりにも恐ろしく悲惨で、憂鬱で、絶望的で、人生の全てを孤独に変え切ってしまった、仮面の下でいま伏せた彼の瞳の色を知る者がまだ居た頃のこと。

見世物一座サーカスに入ることになった時、レオカディオはまだ十も迎える前、大人の男に片手で持ち上げられる大きさだった。貧しい村の出身で、当時からずば抜けた美貌の少年は陰間しょうかんに売ることになるだろうと、皆、考えていた。
ただ一つ問題だとすれば、レオカディオの瞳は暗闇で淡く光る悪魔の瞳だったこと。一部の好事家には受けようも、万客を取る陰間で魅力になるとは思えなかった。であれば、見世物一座に売るのが妥当である。
彼の生まれ国はその頃押しも押されもせぬ大国で、天候にも恵まれ、上流階級の者らはいつも暇を持て余していた。暇つぶしであればなんでも良いと、演劇、歌、絵画、ダンスにドレス、果ては精神病棟の見学までを娯楽に数えていたのである。
当然ながら、見世物一座もどんどん増えた。壁を壊す怪力巨男、首のふたつある蛇、首の長い女に妖精、球の上で踊る少女。レオカディオもそのひとつになった。

ヒメナがくすり笑ったので、言葉を切った。伏せていた目を開けて側の彼女のそれを見る。

「覚えがあるわ、その見世物たちに。貴方の前に此処に来て、私の心を揺らせずに去っていった、角のある蛇、毒針持つ獅子、火吹き男。ほとんどがこの国か側の生まれだったけれど、この国であまり地位は望めないから、今は貴方の生まれ国に居るかもしれないわね」
「それは、どう、だろう。流行りはすぐに入れ替わって、しばらくすると、見世物一座も落ち目になった」
「まあ」
「子供は安いが、力はないし、最初に居た十二も俺とモニカ、リッドの三人に減った。モニカは座長の娘で、リッドは妖精猫ケットもよく躾けた」

一度言葉を切り、レオカディオは白湯をとった。この国の茶は青くさく、飲むと酒に酔ったような気になるのでできるだけ避けている。水の味も違うし、保温の温度も少し低い。
手のないカップを上から持ち上げて飲み込んだ。そして話の続きを頭に浮かべる。話したくない事柄のため慎重にならざるを得なかったし、話せるようになってからのおおよそ半分、呪いの仮面のせいで彼と話したがる人間は居なかったから、何も考えずに口を動かすことができない。
ガア、夕告げ鳥が鳴いた。陽が傾きだす。クカン、高いが響かない音がして、ヒメナは仮面に添わせた手をそっと外した。おぞましい仮面に近付けない家人や店員を慮って付けられた鐘、店からの呼び出しだ。
この国は夕刻に様相を変える。その変化に合わせて店も雰囲気を変えるのだが、それは家守の魔法石に認められた女主人にしか成し得ない仕事であった。名残惜しく視線を流し、微笑む。

「少し行ってくるわ」
「ああ」
「すぐ戻るから、そうしたら話の続きをして頂戴。」
「ああ」

真上から引っ張られでもしているようにしなやかに立ち上がって、部屋に背を向け歩き出す。レオカディオはほっとした。何をどう話すべきか、ほんの少し考える時間ができた。
記憶の蓋をゆっくり開ける。糸を辿る。
何を覚えていて、何を忘れていて、何を忘れたかったのか。

モニカは気の強い少女で、殊の外レオを気に入っていた。
当時は光る目を持っていても昼間はただの少年だったし、見世物一座で変わり者たちに慣れた少女は何の忌避感も持っていないようだった。
子供が減る前でもしばしば共に行動したが、減ってからはほとんど二人で遊んでいた。リッドは人より動物の側に居たがった。
あの日も──いや、違う。あの日は逃げていた。逃げられないことがわかって、隠れていた。
レオカディオは、仮面から覗くだけでも充分、傾国のヒメナと並び立って遜色ない美貌をしている。かつて素顔の頃も想像に難くない。
見世物一座の客層は広い。もしも彼が陰間に売られていれば、好事家たちは見つけられなかっただろう。しかしそうではなかったから、彼らは見つけた。
持つ精神の違いか、同じように美しいのに、凄艶なヒメナと比べてレオカディオへは手を伸ばしやすい。
見世物となることで一旦外れた運命が、元に戻ろうとしていた。
すぐに諦め受け入れた少年に反して、強固に拒み続けていたのがモニカだ。受け入れたところで彼女の身にはかすり傷もつかないのに、彼の手をぐっと握って離さなかった。とうとう客が来てもそのまま、座長の声が届けられないように積荷の隙間に身を隠させた。


静かに戸が引かれ、現れたヒメナにほっとする気持ちが湧き上がる。今の彼を受け入れ、側に立ってくれるのは彼女しかいない。慣れたはずの静けさは、既に甘美に代わってしまった。
仮面ほど固い表情筋が、無意識に笑みを形取る。優美なそれと触れてくる指先が返事だった。玉肌の感触が仮面越しに伝わらないのが残念でならず、レオカディオは己の手を重ねた。見世物として過ごした年月を語る荒れのない手。
様変わりした外の景色に目もくれないまま、時を巻き戻した通りの場所で寄り添いあう。

「話してくれる?」
「ああ。その日、座長は俺の身を売ろうと──売り渡す、という意味ではなくて。客に貸し与える、というか、ええと」
「大丈夫、わかるわ」
「よかった。そういう目的で居たのに、モニカは嫌がって、俺を隠した。木箱の隙間に」

それも、あまりウケなかったものの多いあたりで、腰を下ろすと暗闇に埃がきらめいていた。指先がざらついた。かび臭い隙間の中で、モニカの手は熱く湿っていた。
他の見世物一座では人間を加工した異形が広げられているそうで、それに比べたらずっと良心的なことをしようとしている。
レオカディオにもわかっていた。娘であるモニカや、人間全てを避けがちなリッドより、自分が適していることも。少女の手に引かれるこの逃避だって、彼らがこの狭い幌馬車を改めるまでの短時間。座長は苛立たしげに足跡をたて、器用に小さく怒鳴りつけていた。

「やい、レオ。レオカディオ。わかってんだろう。早く出て来い。大丈夫だ、無体なことはしやしねぇ」

優しい客を選んでるからよぉ、なあ。かたん、がたたん。声が離れ、近づき、大きくなる。モニカの息が細く深く、レオカディオの髪を撫でていた。父親を警戒する少女をじっと見つめていた。

「ったく、大人しく出てきたほうが幸せに違ぇねぇんだぞ、おい。ここに居るんだろう。レオ。出て来いよ、なあ。おい。聞いてんのか。」

モニカだけが焦り、緊張していた。彼女だけが受け入れない。
だいじょうぶ、だいじょうぶよ。父親と同じ言葉を繰り返し囁いて、黒髪を撫ぜる。薄暗闇で目を凝らし、彼女は何かを探しているようだった。辺りには木箱しかないし、どの木箱も同じようにしか見えない。

「だいじょうぶよ、あなたに触らせたりしないから。まもったげるから」

まだ引き返せる。レオカディオはとっさにそう思った。なにか、モニカが愚かなことをするのではと思ったのだ。このとき彼女は確かに大事な友人だったから、無茶をする前に止めなければ。
柔らかい手のひらが湿っていた。座長の舌打ち。いよいよ終わりに違いない。
そこで立ち上がる気配を察し、咄嗟に引き止めた。姉のような微笑みが返ってくる。だいじょうぶよ。もう一度言った。だいじょうぶ、見つけたから。
何を、尋ねる前にモニカは腰を落としたまま進んだ。レオカディオはそのまま座っていた。座長の声が二人の息を隠している。いっそ立ち上がって名乗り出ようか、けれど。
望んでいないことに立ち向かうには度胸がない。黙って服を握りしめていると、モニカは静かに埃をきらめかせながら、少女が両手で持てる程度の箱を持ち上げた。
カタン、と音がした。座長が振り向く。そして己の安堵と少年への嘲りを複雑に混ぜた笑み。向き合う彼らに気付いて、モニカは息を飲んだ。
レオカディオが、見世物一座に売られた理由は?
──彼の瞳が、光るからだ。

暗闇の中に浮かぶ彼の目を目指し、座長は木箱の迷路を抜ける。彼より自分のほうがレオカディオに近い、両手で抱えた荷物を届けに走った。
低く驚きの声が名前を呼ぶ。座長の慣れた足取りにモニカはいっそう焦り、まろぶようにたどり着くと慌しく箱を開けた。

「モニカッ」
「だいじょうぶ、これで!」

今度は座長の声に焦りが見えた。少女の手が、覆う布ごと中身を掴む。
それが何かもわからないまま、固いものが顔に押し付けられた。

「これで、もうだれもレオカディオに近づけなくなるから!」

モニカの手が離れても、何かは顔に張り付いたまま落ちてこない。勢いに瞑った目を、ゆっくり開く。
何かごと顔を覆った布が膝に落ちた。
そして。


思い出したレオカディオは、無意識に拳を握った。他の何百回怯えられたより、親しくしていた彼らにそうされたことが辛かったのだ。ヒメナは優しく微笑んだ。けして自分は怯えないと、すべての根源である仮面に口付けさえして。

「二人は、怯えて。もちろん、来ていた客も。でも、落ち目の一座は好機ととった。異形を造るより人道的で、猛獣よりずっとおとなしい。なにより恐ろしいと話題になって、飽きられる前に一座の人々が耐えられなくなった」

仮面の下の顔を知っていても、性格を知っていても、または知らなくても、齎される恐怖は同じ一括り。
他の誰よりモニカはまだ近付いてきたけれど、それでも今度は離れるを良しとしたらしかった。レオカディオは売られた。比肩するもののない純然たる恐怖はどこの一座でも話題になり、暇を持て余した人々を震わせ、長居できずに点々と居所を変えた。
誰も近付けなくなる、少女の言葉は比喩さえなく真実で、長い間レオカディオを孤独に墜とし込んだ。
仮面を撫でる指先に触れる。温かいと感じることも最早稀なことになっていたのに、ヒメナと出会ってからは離れず側に温もりがある。
もう、レオカディオにはヒメナしか居ない。仮面に落とされた唇と髪を撫でる手に、彼は光る目をそっと閉じた。



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