創作ごった煮
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高校生男子→化学教師の男
世間の化学教師は白衣なんて着ていないし、きちんとした靴を履いているものだろう、と目の前の男を見ながらぼんやり思う。
備え付けの椅子からわざわざ手すりを外し、朝に履いてきたスニーカーと靴下を脱ぎ、自分で買ってきた白衣を羽織ってコーヒー専用のビーカーでカフェオレを作る、おくびょうな男。木嶋、と書かれた名札に付いた写真は髪とスーツがみちがえるように整えられている。
褒めるにも貶すにも距離を寄せたくなくて、ふてぶてしく組まれたサンダルの足を大きく避けてノートの山を机に置いた。
「回収の、宿題ノートです」
「そこ、これから使うプリントあるんだけどなぁ」
「他に置く場所もないじゃないですか」
「こっち、おれの前の机」
黄色味がかった巻き爪の親指が、サンダルからぴょこり頭を出して無作法に指示を出す。
それに目を眇め、ひとつ息を吐いてから灰色プラスチックの平面に視線をやれば、やはり同じだけプリントが散乱して、結局行ったり来たりになるだろうことは見て取れた。
「いやですよ、教室からここまで遠い道のりを運んできたのに」
「いい若いもんが何言ってんだ。あーあー、老骨に堪えるなあー」
「老骨ってまだ四十とかでしょ。うちのおやじより若いっすよ」
「もう四十五だから、アラフィフってやつだよ」
「うわあ、おやじと同い年」
まじかよ、と笑う木嶋に、おれもおなじ言葉を思っていた。まじかよ。思ったより歳上だったとか、そんなこともあるけれど、存在が近くなればなるほど禁忌に思えるものがあるのだ。
油っこい肌したおやじと違って、乾燥して筋張り、生々しさのない男。こんなに違うはずなのに、書類になってしまえばおやじも木嶋も同じで、ニュースにでもなったら同じ『四十五歳男性』にすぎなくて、同じということはともすれば入れ替わっていた現在だってありえたということで。
そこまで考えて、心内だけで首を振った。ゆるされなくてもいいけれど、ゆるせなくなってはいけない。わざわざ自分で禁忌を生み出す必要はない。
「じゃ、おれはこれで」
この男と話していると、どこを見ていいかわからなくて、いつもサンダルの親指ばかりを見ている。いつか思い出になったとしても、かれのひとみの色より巻き爪の具合ばかりになるだろう。
出席番号になんて並んでないノートたちの、いちばん上が骨ばった手に奪われる。こんな乾いた指先さえおれには眩しすぎ、一瞬持ち上がった視線はやっぱり足元に落ちた。木嶋はおれを止めない。止まりかけた足をまっすぐドアに向け、どうか、と思う。おれはひとみの色も、肌の質感さえほんとは覚えていたくなんてない。中途半端なら知らないほうがましだ。だから、どうか、あの黄ばんだ巻き爪だけでいいから、あの親指だけを知りたかった。
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