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創作ごった煮
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1話
2話
3話







その陽気でない騒ぎはレオカディオの元まで届いて、戸に手をかけさせていた。
顔は覆っている。混乱はきっと最初の頃より控えめに収まる。廊下は静かで、人の気配は遠い。
しかし外には出られない──レオカディオが己れの意思で人前に出ようとしたのは遥か昔のことだったから。開いた戸の先に、ヒメナの作り上げた安寧の寝床がないから。たった一歩の居場所もない外が、この部屋に汚泥を流し込む想像までもした。
心臓の音は届かない。呼吸が苦しい。指先が冷え切っている気がしたのに、確かめてみればいつものままの温度。大丈夫なのだ、大丈夫なはずだ、身体もそれを証明している、なのに。
喉が強張って、渇いた内を潤ませるに難儀した。指先が震えていた。考えすぎだ、と冷静な思考もあった。外に出たところで、怯えられるのはいつものこと。それでも怖いのは、想像の叫び声にヒメナが居るから。今は頬をばらに染めてくれる彼女は、条件ひとつで同じように態度を変えるかもしれない。今のレオカディオにとってヒメナは唯一だ、唯一の安らぎ、無二の愛だ。
しかし、万が一で失えないもののために立ち尽くす彼を動かしたのもまたヒメナだった。
階下の喧騒から絹裂き声。おそらく一階から、三階のこの部屋まではっきり聞き取れるほどの大きさ。女は確かにヒメナの名を呼んだ、甲高い声で、ヒメナ様と。
戸を引いて走り降りる。二階三階間の階段は扉が付いていて、慣れない様式にもどかしく開け放つ。二階の間取りがわからない。黒布が視界を遮って鬱陶しく、何も考えずに取り払う。二階の客を持て成していた女たちが様子を伺わんと顔を出し、彼の気配に腰を抜かして気をやった。用心して部屋に入ったままの客らがそんな女に寄り付く前に階段を見つけ、走り抜ける。
走ったことも何年ぶりか、不恰好でも歩くよりいくらか早いだろう。板間の床をうるさく叩き、階段を見下ろすと、人集りはそこにあった。
桜髪の背中、白いけものの横顔、目立つのはその程度でヒメナの姿が見つからず、視野の狭さに苛立たされる。
ヒメナ。
口に出さないで名前を思う。ヒメナ。思考を邪魔するように叫び声、倒れこむ身体の音、耳も視界も騒々しくてたまらない。ヒメナ。ヒメナヒメナ、ヒメナ。レオカディオの愛しい唯一。おれの、おれをすくうおひと、いったいどこにいらっしゃる。
仮面を正面から見ては人々が気を失う。男の上に女が、女の上に男が、足も頭も吐瀉物さえ気にすることできずに己を守るために意識を手放してゆく。
恐怖の浸透を遮れなかったものは心を壊したかもしれない。仮面を直に見て頬をゆるますのはヒメナだけ、狭い視界で求める姿をひたすらに探した。

「ーーっ!」
「……レオカディオ。」

叫び声ではない女の声がした、続いて待ち望んだ甘露の音。安堵が頬を緩ませ、光る瞳に輝きを足す。もしも仮面がなければ、神の造形物さながらの端正な美貌が目を細めた時に、今とは違う理由で気を失わせていたかもしれない。
けれど実際そうではないのだから、彼の表情を注視する者もなかった。

そして。

咄嗟、レオカディオは流れるように身を滑らす。絹糸の上質な黒、見知らぬ桃と白の毛並み、その隙間に輝くものが見えたのだ。
同じ空間にいるというだけで、仮面は心をざわめかせる。相手がレオカディオを、仮面を認識していなくても。また、逆であってさえ。
なのに、鋭い金属光沢は彼を一切気にしていなかったことがレオカディオの意識を引いた。狭い視界で主を見れば痩身の男、この国らしい暗色の髪は短いが脂で固まる束が不潔さを見せる、反して服装は小綺麗だった──よく見れば、布地は季節にそぐわないし、手首や足首が不恰好に露出していたのだが、レオはそこまで見ていない。
ただ、周囲の意識が悍ましきに集中している隙間を、周りの様子すら気付かぬよう一心に掛け、無情な銀の照りをまっすぐに向けた、その先がわかってしまっただけ。心優しかった少年は、もはや有象無象に興味を持たない。ただひとつ、失えないもののために、再度慣れないまま駆け出した。二階をどたばた踏み荒らした足取りとは雲泥、一歩二歩と飛び越えて、ヒメナの前に身を翻した。
痩躯は誰の邪魔も受けず、目の前まで来ている。脂と埃が固める前髪から血走った目が覗き、レオカディオは場違いにも、なんだ、と思った。なんだ、どこにだっているんじゃないか、光る目の持ち主なんてのは。
銀色は腹部に差し迫り、仮面の視野を外れている。次に存在を感知したのは腹部へ突き刺さってからだった。
刃の鋭さに見合った、鋭い痛み。熱。身体に埋まり切っている、つまりヒメナはだいじょうぶだ。脂汗を浮かべて膝から崩れ落ち、横向きで倒れこむ。

「レオカディオッ!」

ちがう。聞きたいのはこの声じゃない。
痛みに目を瞑りかけるのをこらえ、正面の高い声を睨みつける。どこかで見たような、桃色の女、……モニカに似ている。焦った、それでいて怯えを隠せない目の色もそっくりだ。
どうでもいい。
レオカディオは、腹部を内側に丸まりたいところ頭を逸らし、庇ったヒメナを見上げる。横では遅すぎる衛兵が痩躯の男を取り押さえている。少し低い体温の慣れた右手が、そっと背筋をさすっている。震えた声で名前を呼ぶ。

「ひ、……ヒメナ、」

黒曜石が優しくレオカディオを労う色を放つ。無事だった安堵も乗せて、いつものように、左手がそっと仮面に伸ばされた。
固い縁をそっと伝う愛撫。赤い唇が扇情的に隙間を作り、ほう、息を溢した。

「よかった、無事で……」
「ああ、大丈夫、これくらいの怪我ならすぐ」
「貴方に傷が付くなんて耐えられないもの」
「え?」

腹部の傷は脈打ち、今も血が止まらない。
ヒメナは仮面を撫でていた。
微笑み、瞳を潤ませ、いつものように仮面に唇を──、

「ヒ、メナ……?」
「貴方に代わりはいないわ。貴方だけが私の心を揺さぶる。壊れてしまっては嫌よ、お願いだから」

ちゅ、ちゅ。仮面に何度も唇が落ちる。
甘えた声音は、蕩ける瞳は、染まった頬の理由は。レオカディオがなんとも言えない違和感に思わず頭を引くと、伸びた前髪がさらりと瞼を撫でた。

「……え?」

腕を持ち上げる。
ナイフの刺さった腹部が引き攣れたが、気にならなかった。目の周りがやけに涼しい。顔を確かめた手は、己の皮膚に触れた。硬質なものはなかった。
先ほどの違和感を忘れ、レオカディオは喜色満面でばっとヒメナに向く。

「仮面が、ヒメナ、仮面が……っ!」

視界が開けている。胸が苦しい、これで、誰に憚ることもなくヒメナの隣に相応しく並び立てる。
素顔のレオカディオは、幼い頃そのままに美しく育った青年だった。高い鼻筋、凛々しい眉、長い睫毛が歓喜の涙を押し出した。

「ヒメナ……っ!」

だが、望んだ漆黒と視線がかち合うことは、なかった。

「ああ、ほんとうによかった……。これからもきちんと側に居て頂戴、私もけして離さないから。」

うふふ。美しいかんばせが可愛らしく微笑んで、嫋やかな手が優しく撫でる、撫でられるはずのレオカディオは呆然彼女を見つめていた。
きめ細かい白磁の頬が、擦り寄せられる。

「ヒメ、ナ……ヒメナ、ヒメ、」
「戻りましょう、部屋へ。……その男は突き出しておいて。お客様にも騒ぎに巻き込んでしまった謝罪を。それから」

そして立ち上がった女が、やけに恐ろしくみえる。
望んだ同じ色のはずなのに、違うのはなぜ?

「こちらの、レオカディオにも医者を」

手を伸ばせない。

「恩人だわ、」

同じ角度の口角が、冷たく見えるのはなぜ。
自分の呼吸音が聞こえる。そう、そうだ、怪我をしたから。脈打つ痛みのせいだ、そうに違いない。
思考がかき混ぜられるレオカディオに、ヒメナは一瞥しかしなかった。胸元に抱えた何かを見下ろす。

「私たちの」

ばら色の頬、弧を描く唇、その熱量は、なぜ、どこへ。
見上げる視界で、レオカディオは確かに、彼女の手に硬質な黒を見た。






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