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創作ごった煮
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準和風ファンタジー。無感動女と、見るもの全て怯えさせるおぞましい呪いの仮面の話。




火の玉のように赤い提灯が、果てしなく軒先に連なっていた。乱張りの石畳に落ちる影の合間を、少女が走る。
表の大通りとは真逆にひっそりとした路地だけを見下ろす部屋には、仄かに甘い香が焚きしめられ、辺りで最も豪奢なこの大店の主室を示す魔法石が煌々と照っていた。この石の灯りを落とせば、店中のそれが同時に落ちる。大きさに比例して力も強まるらしい彼の石は幼子ほどもあり、抱える提灯の膨大な数を思わせる。
富豪の呼び名を欲しいままにする女主人、ヒメナは、店構えと同じ朱色をしっとりと細い手で撫でながら、やけにゆっくりと視線を上げた。
むしゃぶりつきたくなるような、良い女だ。
脂ぎった太い首にも飲み込んだ唾がはっきりと現れていたとしても、男に手を伸ばす権利は与えられていない。膝に乗せた手を震わせ、ぽってり厚い真っ赤な唇が開かれるのを見つめていた。

「…………それで、話のものは、後ろの?」

脳髄を揺らす、蠱惑的な声だ。何も考えずに頷いてしまいたくなる。
しかし狸の理性は存外に丈夫で、つと動いた視線に取り戻した余裕で商人めいた朗らかな笑みを浮かべられた。
女の視線の先には男。若そうな雰囲気だが、なんとも歳を捉えづらい。と、いうのも、男は一分の隙もなく顔を覆い隠していたせいだった。
木枠でもはめ込んでいるのか、頭の大きさも測らせない円柱状に分厚い黒布が被され、正面の合わせ目はわずかにも開かぬよう重ねて留められている。ゆとりある布の服は体型さえ伝えない。幾人もの男を見てきた経験から、二十代だろうとは察せられたが、三十代、あるいは五十代の可能性さえあった。
商人ははっきりと頷く。

「ええ、ええ。間違いなくヒメナ様のお気に召すかと。」

そうして目配せをして、部下に指示を出す。商人の部下らの手は震えていた。ヒメナの後ろにも、ひとり世話役の禿が居る。十を越えたばかりの少女は、おそるおそる視線を向かいに向けつつも、開けられた杯に酒を注ぐ。とくり流れ出た色は濃茶で、この辺りでは茶の代わりによく飲むものであった。
若者たちの手によって、覆い布の留め具が外される。興味深げな顔で見定めるヒメナの瞳の奥には、つまらなそうな色が滲んでいた。似たような謡いでいくつもの商品を見てきたが、今までひとつも期待に応えてはいない。
座る彼はじっとしていた。左右から布端を掴んだ手が、ゆっくり上がる。布の内を見ようとするのはたったふたり、禿とヒメナだけだった。
白い首筋。しみのひとつもない肌はやはり若者のそれだろうか。そして顎、鋭い角度は精悍な印象をにじませる。
もったいぶるように、いや実際にもったいぶって、布はのろのろと上がってゆく。そんなだと言うのに商人は頑なに振り向かず、部下たちもあらぬところに目を向けていた。薄い唇、鼻頭。顔の半分を晒したところで一旦手が止まる。そこまででも青年の類い稀な美貌を察することができて、禿は密かに胸を高鳴らせたが、ヒメナはつまらなそうに脇息にもたれた。うつくしいものならば、鏡の中にいくらでもある。ヒメナが求めるのは、そんなものではない。
しかしその表情に、ヒメナだけをひたすらに見つめる商人は自信を返した。

「ご安心ください、ヒメナ様。これを置いて、他に貴女様を満足させられるものなど存在しないでしょう」

早く持ち上げろ、と片手と口頭で部下を急かす。布を持つ手に、二人は強く力を入れて、覚悟を決めるようにぐっと目を閉じた。
そして。

「ひっ、ぃ」

喉を絞られた声が少女の意図とは別に漏れる。空気が一瞬にして変化した。商人は半笑いを貼り付けて視野を狭めることに必死で、顔を伏せた二人の男はぶるぶる震えていた。
禿の少女は、飲み込んだ空気に身体中の血液が押し出されるように思って、震える肩を抱きしめた。息を吐き出したらおのれの全ての力が抜けてしまうとでも思って、息を詰めたまま強張っている。しかし呼吸を止めてはいられない。
叫び声が響くまで一瞬、その前に吐き出されたものがあった。

──ほぉ。

密度の高い、陶酔の溜息。
頬を紅に染め、瞳を蕩けさせ、唇は僅かに開く。信じられない反応に商人が目を見開いて声を掛けようとするが、掻き消される。

「ひっ、ぃやああああああああ!」

禿の叫びが響く中、鮮やかな着物をぐっと握り締めて、ヒメナはうっとりと布の内を見つめていた。





ヒメナは幼い頃から「度胸のある娘」だと言われていた。
村一番の大柄な男にあやされても泣かず、度胸試しでは崖際までもなんなく進み、罠に掛かった鳥を捌けるようになるまでも早かった。夜の闇も、狼の唸りも、荒れ狂う風雨にも震えたことはない。生まれてこの方、恐ろしい、という感情を味わったことがなかった。怪我をし、命が失われゆけども、痛みが感情に変わらない。何が起きても微動だにしない心、それはもちろん感動も喜びも悲しみも同様だった。心に琴があるのなら、弦はひとつも張られていない。
代わりになんとか学習して、琴の音に似せた歌が歌えるようになった。人が死ねば悲しく、生まれれば喜ばしい。眉を下げ唇を噛む、あるいは目を細めて口角を上げる。相手の言動に合わせて、一般的な最適解を探せる程度にはヒメナは優秀な女優だった。
成長し、この大店の主になるまで、控えめに言っても並の人間なら両手足の指で足りないほど自殺しているようなことが何度もあったが、恐怖も安堵も未だ知らない。装いが身に付き、時間と金が出来てようやくヒメナは気が付いた。例え飢えた猛獣の檻に入ってもそのまま喰い殺されるに違いない、なんとつまらないことだろう!
そうして物価の高いこの国でも一生遊んで暮らせる額を用意して求めた、自身の心を揺らすものを。


叫び声に集まった人々が息を飲み、叫び、失神さえするのを横目に、ヒメナはうっとりと青年ににじり寄り手を伸ばす。商人は信じられずに姿を追って、黒尽くめの彼を視界にいれかけて目を閉じた。
青年は動かない。僅かに動く胸元と肌の透明感が彼に唯一生々しさを与えていた。細い女の指が、青年の頬に触れる。すぐ横で布を握りしめる二つの手はがくがく震えている。赤い爪先がそっと輪郭をなぞり、晒された上半分に届く。

青年の目は仮面に覆われていた。
ただの仮面ではない。おぞましく、禍々しく、邪悪。悪し様の形容詞を全て重ねても足りない、見たものの背筋を凍らせる醜怪、鮮烈な恐怖。視界に映すだけで身の毛がよだち、足が竦む。悪鬼羅刹が、地獄が、ありとあらゆる絶望が凝縮された形ある死。
不気味な造形物はいくらも目にした。生きたまま腐敗してゆく病人も、撒き散らされたはらわたも、集る蛆も溶けゆく死体も嬲られる親子も。それでもヒメナは何も思わずにいたのが、ただ、ありふれた材料で作られたような仮面に──心を揺らされた。
仮面自体はけして恐ろしげな造りをしていないというのに、それは存在するだけで恐怖を齎した。一度も目を向けていないはずの商人も遠のきそうな意識をなんとか痛みで繋ぎ止め、脂汗で服の色を変えていた。
唇が触れかねない距離まで顔を寄せると、ようやく青年がヒメナを見た。青年の瞳は琥珀の色をしていた。はあ、もう一度溜め息を吐いてしなやかに仮面が撫でられ、青年は初めての反応とその色香にゾクリと背を震わせる。吐息は花の香りで、周囲の胃液や尿の臭いを吹き飛ばした。

「あなた、名前は?」

吐息が唇を撫でる。久しく出していなかった声、この美しい女性に掛けるに値するだろうか。薄い唇を開く。舌が乾く。仮面の表面を紅の爪がなぞり、彼女の視線はそれを追っている。

「れ、レオ。レオ、カディオ。レオカディオだ」

一息に言えずに詰まり、名前を繰り返した。ヒメナは少し低い声で「そう、レオカディオ」と呼んだ。叫び声はいつの間にか途切れ、店の周りに野次馬が集まり出していた。失神し損ねて逃げ戻った用心棒らが仲間に伝えたのだろう、新たに近寄る者はない。
ヒメナはレオカディオの左右で布を持ち上げたまま固まる手を撫でる。顔を覆うそれを右から受け取り、名残惜しげに仮面をなぞって微笑むと、元のようにしっかり閉じた。留め具はしなくて良いだろう。
首に腕を絡め、布越しに唇を落とす。滑らかな生地の向こうに硬い感触、レオカディオはぴくりと身体を揺らした。繋がる糸でもあるかのようにゆっくり離れる。商人は頑なに背を向けていたが、布が頭を覆った瞬間にがらりと空気が元に戻ったために肩の力が抜け去った。

「買うわ、これほどだなんて期待以上……倍を出しましょう。本日はどうぞお楽しみくださいまし」

離れた手をレオの腕にかけ、ヒメナは己の座に戻る。
視界に入れざるをえなくなった商人が必死に焦点を散らすのを横目に、案内や支払いをさせるつもりだった禿が仰向けに倒れる横に腰を下ろした。反対にレオも座らせる。少女は涙と鼻水を垂らし、笑うように大口を開け泡を吹いたまま気絶していたので、懐から手拭いを出して拭いてやる。
それから背の戸棚から手持ちの鐘を取り出し、かららんと響かせた。下男が現れるまで少しかかる。開かれた戸の向こうにはまだ倒れた人影があったので、おそらく跨いで来たのだろう。青白い顔をしていた。

「続き間のひとつを整えて。代金は倍を」
「畏まりました。が、動ける人数が、少々」
「本日はこちらの方々へのおもてなしに全力を注いで頂戴」
「はっ」

鹿爪らしく言いながらも、ヒメナの表情はかつてないほど緩んでいた。頭の隅では倒れた人数、快方に向かう時間、そして何割かは正気を失っているだろうことを考えている。人員補充をしなければならない。
反して頭の大半はすべてレオカディオに向いていた、否応なく。
あの仮面を見た瞬間、胸が高鳴った。心臓が痛い。存在の全てが、全身全霊をもって彼を気にかけねばと強く叫んでいる。
倒れてしまいたくなるような衝撃、未だに響くそれは苦しくなるほどなのに今すぐもう一度触れ合いたい。
布越しでは感じられないあの感情を、ヒメナは思い返して身を震わせた。邪魔な一枚を捲りあげればまた会える。
ともすれば溺れてしまいそうな自分を抑えて、顔を合わせるに適した環境を整える算段を立てた。そっと手を握ると、レオカディオは躊躇うように軽く、そうして強く握り返してきた。






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