創作ごった煮
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
学習塾の帰りは、いつも8時を過ぎた。治安が良くて街灯の多いこの街では、9時を過ぎないと警察も補導しない。暗い中を一人で歩く小学生は、少なくなかった。
教科書の入っていない学校のカバンと違って、塾用のカバンはいつも重い。適当に詰めたせいか、歩く度にテキストが揺れる。
辺りの家は自分の背より高い塀に囲われているため、電気がついているかもわからない。みんな寝静まってるんじゃないだろうか。唐突に聞こえた笑い声に肩を揺らして、音楽プレイヤーの音量を上げた。
暗くなったら、親御さんを呼んで、迎えに来てもらうこと。
夜には大通りを歩くこと。
授業の最後に流れ作業のようにいつも言われる言葉だったけれど、一度も守ったことはなかった。迎えに来てもらうなんてカッコワルイし、大通りだけ歩いたって家には帰れない。みんなそう言っていた。それでも、同じ方向に誰か居たらよかったのにと思う。暗いのが怖いとか、一人が嫌だとか、そんなんじゃないけど。
ポケットの中には、携帯電話と、防犯ブザーが入っている。丸みを帯びたその形をなんてことないふうに撫でて、耳から入ってくる流行りのポップソングに息を吐いた。鉢植えの並んだ塀の影から、遠目に公園が見える。いつもの通学路だ。ここまでくれば、暗くたって大体のものがわかる。猛犬注意のプレートを掲げた、犬の居ない家。ハンドルの高い自転車。干しっぱなしのキミドリのジャージ。薄ぼんやりと見える姿を、昼間のそれと重ねる。公園の側には街灯が少なくて、ほとんどが記憶によって補われる。
背ばかりが高い木と、いつも遊んでいる遊具の少ない公園。それなりに広いはずなのに、そこに明かりは1つしかない。昼間の明るい外装はどこに行ったのか、遊具は灰色に浮かび上がっている。コドモ用の小さなゾウの滑り台と目があった気がして、思わず目をそらした。怖かったわけでは、ない。ミュージックプレイヤーの向こうでは、流行りだからと入れた女性シンガーの曲が流れ始めた。バラード。聞きたくない、ポケットから本体を取り出して、スキップする。何曲か飛ばして、やっと歌詞に意味もなさそうな明るい曲がくる。怖いとかじゃない、けど。誰に言うでもなく言い訳して、真っ赤なそれをポケットに戻そうとしたとき、視界の端、公園の中で何かが動いて見えた。ハッとして、顔をあげる。猫だろうか。脱走犬?それとも、見たことがないけど、ホームレスなんてのだろうか。一番に浮かんだ案は、存在しない存在なので、理由をつけて名前もつけずに却下する。ゆっくり息を吸ったら、知らない甘い花の匂いがした。虫が鳴いている。
しばらく意識を傾けていると、暗闇から、人が現れてぎょっとする。思ったよりも近くに居た。ざり、砂を踏む音にやっぱり存在しないアレではなかったと思って、今度はサツジンキを思い浮かべる。防犯ブザーを強く握った。人影はなにかを持っている。包丁だ。ざり、ざり。公園の入り口の明かりが照らす、こちらに近づいてくる。
顔が、見える。
「……っだよ、シラキじゃねーか…」
思わず漏れた声に、シラキは顔を上げた。色素の薄い髪が揺れる。いつものように黒いハイネックを着て、片手にはシャベルを持っている。
シラキは、有名人だった。小学校の、生徒だけの。だから自分も知っている。クラスは隣で、話したことはない。シラキは誰とも話したことがない。
彼も自分と同じように、塾帰りなのだろうか。けれど、カバンはない。夜道の孤独からの解放と、幽霊の正体を暴いたような高揚感から、思わず声をかけた。辺りには誰も居ない。
「こんな時間に、公園でなにしてんだよ」
返事を期待するように、聞き慣れたギターサウンドを耳から外した。話したこともない、彼からしたら見ず知らずの人間に話しかけられたというのに、シラキは躊躇わずに答える。電灯の光が、シラキの目に一瞬光った。
「きみこそ、こんな時間に。」
「っせーな、塾だよ。オマエは違うんだろ?遊んでたの?」
「そうかな。やりたいことがあって」
「ふーん。いーなー、オレんち塾なかったら門限6時だもん。遊び放題じゃん」
「そうだね」
ざり。砂を擦って、シラキが近づく。会話の始めこそ絡んでいた視線はいつのまにか落ちていて、その視線の先を追うけれど、そこには何もない。地面と、雑草と、それから遠い明かりにできた影。
目を合わせるのが苦手なタイプは、クラスにもいる。気にするほどのことではないと、もう一度視線をシラキに戻した。
ざり。ざり。シラキはいやにゆっくりと歩く。シラキの影が、夜に溶ける。
靴、ズボン、シャベル、手、肩、全てが、狭い光の空間から抜け出した。
それでも、夜道を歩き続けた目はシラキの姿をぼんやりと捉える。確かだったシラキの存在が暈けた気がして、ポケットの中の防犯ブザーの固い感触を確かめた。
「夜が怖いの」
疑問形というには不完全に言い切って、それでも尋ねるようにシラキはこちらを向く。
責められているような気がした。
馬鹿にされているような気がした。
そんなわけないだろ、反射で口を開こうとして、それよりも先にシラキは続けた。
「一人が怖いの。音が怖いの。影が怖いの。」
ざり。ざり。ざり。黒いハイネックが、シラキを闇に溶かす。
「それとも、暗闇が怖いの?」
ざり。声はすぐそばにあった。公園の砂が終わって、シラキの靴音はコンクリートを擦る音に変わる。
聞いたくせに、シラキは答えを聞く気はないようで、影と気配が横を通り過ぎる。しゃっ、しゃっ、軽い音が背中に回った。まだ、そんなに離れてはいない。
怖くねーし。
小さく呟いた返答が、シラキに届いたかはわからない。けれどシラキの声はもう一度聞こえた。これじゃあ、明るすぎるよ。
その声に振り向くと、シラキはより暗い横道に入ったようだった。色素の薄い髪も、浮かび上がらない。
それから自分がこれから帰る道に向き直って、次の街灯が少し離れたところに浮かぶのを見て、眉を寄せた。
「どう見たって、暗いだろ」
そして自分は、この暗い道を一人で帰らないといけない。イヤホンをもう一度つけなおして、耳に入る女性シンガーの軽いロックに意識を集中させた。
辺りを歩く人の気配はどこにもなく、影と呼べるのは足下の暗闇に呑まれた自身のそれだけだった。
辺りの家は自分の背より高い塀に囲われているため、電気がついているかもわからない。みんな寝静まってるんじゃないだろうか。唐突に聞こえた笑い声に肩を揺らして、音楽プレイヤーの音量を上げた。
暗くなったら、親御さんを呼んで、迎えに来てもらうこと。
夜には大通りを歩くこと。
授業の最後に流れ作業のようにいつも言われる言葉だったけれど、一度も守ったことはなかった。迎えに来てもらうなんてカッコワルイし、大通りだけ歩いたって家には帰れない。みんなそう言っていた。それでも、同じ方向に誰か居たらよかったのにと思う。暗いのが怖いとか、一人が嫌だとか、そんなんじゃないけど。
ポケットの中には、携帯電話と、防犯ブザーが入っている。丸みを帯びたその形をなんてことないふうに撫でて、耳から入ってくる流行りのポップソングに息を吐いた。鉢植えの並んだ塀の影から、遠目に公園が見える。いつもの通学路だ。ここまでくれば、暗くたって大体のものがわかる。猛犬注意のプレートを掲げた、犬の居ない家。ハンドルの高い自転車。干しっぱなしのキミドリのジャージ。薄ぼんやりと見える姿を、昼間のそれと重ねる。公園の側には街灯が少なくて、ほとんどが記憶によって補われる。
背ばかりが高い木と、いつも遊んでいる遊具の少ない公園。それなりに広いはずなのに、そこに明かりは1つしかない。昼間の明るい外装はどこに行ったのか、遊具は灰色に浮かび上がっている。コドモ用の小さなゾウの滑り台と目があった気がして、思わず目をそらした。怖かったわけでは、ない。ミュージックプレイヤーの向こうでは、流行りだからと入れた女性シンガーの曲が流れ始めた。バラード。聞きたくない、ポケットから本体を取り出して、スキップする。何曲か飛ばして、やっと歌詞に意味もなさそうな明るい曲がくる。怖いとかじゃない、けど。誰に言うでもなく言い訳して、真っ赤なそれをポケットに戻そうとしたとき、視界の端、公園の中で何かが動いて見えた。ハッとして、顔をあげる。猫だろうか。脱走犬?それとも、見たことがないけど、ホームレスなんてのだろうか。一番に浮かんだ案は、存在しない存在なので、理由をつけて名前もつけずに却下する。ゆっくり息を吸ったら、知らない甘い花の匂いがした。虫が鳴いている。
しばらく意識を傾けていると、暗闇から、人が現れてぎょっとする。思ったよりも近くに居た。ざり、砂を踏む音にやっぱり存在しないアレではなかったと思って、今度はサツジンキを思い浮かべる。防犯ブザーを強く握った。人影はなにかを持っている。包丁だ。ざり、ざり。公園の入り口の明かりが照らす、こちらに近づいてくる。
顔が、見える。
「……っだよ、シラキじゃねーか…」
思わず漏れた声に、シラキは顔を上げた。色素の薄い髪が揺れる。いつものように黒いハイネックを着て、片手にはシャベルを持っている。
シラキは、有名人だった。小学校の、生徒だけの。だから自分も知っている。クラスは隣で、話したことはない。シラキは誰とも話したことがない。
彼も自分と同じように、塾帰りなのだろうか。けれど、カバンはない。夜道の孤独からの解放と、幽霊の正体を暴いたような高揚感から、思わず声をかけた。辺りには誰も居ない。
「こんな時間に、公園でなにしてんだよ」
返事を期待するように、聞き慣れたギターサウンドを耳から外した。話したこともない、彼からしたら見ず知らずの人間に話しかけられたというのに、シラキは躊躇わずに答える。電灯の光が、シラキの目に一瞬光った。
「きみこそ、こんな時間に。」
「っせーな、塾だよ。オマエは違うんだろ?遊んでたの?」
「そうかな。やりたいことがあって」
「ふーん。いーなー、オレんち塾なかったら門限6時だもん。遊び放題じゃん」
「そうだね」
ざり。砂を擦って、シラキが近づく。会話の始めこそ絡んでいた視線はいつのまにか落ちていて、その視線の先を追うけれど、そこには何もない。地面と、雑草と、それから遠い明かりにできた影。
目を合わせるのが苦手なタイプは、クラスにもいる。気にするほどのことではないと、もう一度視線をシラキに戻した。
ざり。ざり。シラキはいやにゆっくりと歩く。シラキの影が、夜に溶ける。
靴、ズボン、シャベル、手、肩、全てが、狭い光の空間から抜け出した。
それでも、夜道を歩き続けた目はシラキの姿をぼんやりと捉える。確かだったシラキの存在が暈けた気がして、ポケットの中の防犯ブザーの固い感触を確かめた。
「夜が怖いの」
疑問形というには不完全に言い切って、それでも尋ねるようにシラキはこちらを向く。
責められているような気がした。
馬鹿にされているような気がした。
そんなわけないだろ、反射で口を開こうとして、それよりも先にシラキは続けた。
「一人が怖いの。音が怖いの。影が怖いの。」
ざり。ざり。ざり。黒いハイネックが、シラキを闇に溶かす。
「それとも、暗闇が怖いの?」
ざり。声はすぐそばにあった。公園の砂が終わって、シラキの靴音はコンクリートを擦る音に変わる。
聞いたくせに、シラキは答えを聞く気はないようで、影と気配が横を通り過ぎる。しゃっ、しゃっ、軽い音が背中に回った。まだ、そんなに離れてはいない。
怖くねーし。
小さく呟いた返答が、シラキに届いたかはわからない。けれどシラキの声はもう一度聞こえた。これじゃあ、明るすぎるよ。
その声に振り向くと、シラキはより暗い横道に入ったようだった。色素の薄い髪も、浮かび上がらない。
それから自分がこれから帰る道に向き直って、次の街灯が少し離れたところに浮かぶのを見て、眉を寄せた。
「どう見たって、暗いだろ」
そして自分は、この暗い道を一人で帰らないといけない。イヤホンをもう一度つけなおして、耳に入る女性シンガーの軽いロックに意識を集中させた。
辺りを歩く人の気配はどこにもなく、影と呼べるのは足下の暗闇に呑まれた自身のそれだけだった。
PR
この記事にコメントする
ブログ内検索
最新記事
(05/19)
(03/15)
(01/17)
(08/02)
(01/08)
カテゴリー
カレンダー
05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
最新コメント
アクセス解析