マイ枕じゃなきゃ寝られない 2015.05.01 Fri 04:51 | 単発もの

＊男子高校生BL




窓の外には夏が来ていた。

「一組の石川がおまえのこと好きなんだって」
「ふうん、どうでもいいなあ」

よく冷えた麦茶がぞんざいに机にふたつの水溜りを作っている。

「六組の波瀬もおまえをカッコイイってさ」
「ああいうタイプはちょっと」

汗の乾いた裸足の足が空中を蹴り、床に倒れ伏すのを横目に追った。綾瀬の開く雑誌はページを変えない。
おれはひとつ問題を解き終えて、問題集に視線を戻す。最下段まで埋まったノートはページをめくる。問４、下線部３を日本語に訳しなさい。はいはい。
ゼアイズ、なんてカタカナ読みで英語を浚う。この単語はなんだっけ、後で確認しないと。一度持ち上げたコップはぴったり同じ位置に戻らなくて、机に水を広げる。紙を濡らす前に手は服で拭ってしまう。ジョーヒンじゃあないなあ、床にうつぶせる男とはお似合いか。綾瀬は手を動かさずに、ぱたん、ぱたん、それぞれ足を上げては下ろした。

「四組の大柴は？」
「話合わなそう」
「そっか」
「そうそう」

なんでもないふりで聞く彼女らのこと、おまえは意識しすぎだよ、と笑ってやりたい。比べて勝たなきゃ安心できないのだ。オンリーワンよりナンバーワン、どちらに価値があるなんて話じゃなくて。
たったひとつである自信がないんだろう。おれはほかなんて目に入ってないよ、なんて言ったってきっと意味がない。盲目の恋じゃなくって、こいつが望むのは、選ばれることなのだ。ほかを切り捨てること。自分が大量生産品だと思っているから、ほとんど同じ顔したぬいぐるみのちょっとした目つきの違いを比べて悩んで、片方を捨てて、そうして自分を選んでほしい。
おれにとっては一点モノなのになあ、なんて思いながら電子辞書に文字を打ち込む。さてどの意味が合うだろう。
ぱさりとページがやっとめくられる。つるつるしたその紙には、この問題集一問分の文字しか書いてないだろうに、ずいぶん時間がかかったものだ、なんて皮肉。ゴウッと音を立てて、少し上がったらしい室温を冷風が下げにくる。
男と女を比べて男を選んだ上で、ほかの男と綾瀬を比べた、なんてことはない。おれの性愛対象は女だけで、つまり男では綾瀬だけにムラムラするしドキドキする。そしていろいろめんどくさいことを考えても、ほかの女じゃなくて、男の綾瀬を選んだ。それだけでも自信を持っててくれればいいのに、女じゃないことをいつも引け目に思っているのか、てきとうな女を探してきては比べさせたがる。比べて選ばせたがる。
もし、性別の引け目がなかったら。
綾瀬が女で、おれは女として生まれ育った綾瀬をやっぱり好きになって、女の綾瀬もおれを好きになって。
それでも綾瀬はナンバーワンになりたがるんだろうなあ。ワタシと仕事どっちが大事なの、比べてよ、それでワタシを選んでよ、って。
ぱたん、一度下がって持ち上がった足を、下がる途中で掴んで止める。綾瀬は顔を上げた。唇の厚いおとこだ。

「おれが、今、大事にすべきなのは勉強だよ」
「はァ？」
「おまえと勉強なら勉強を大事にする。」

まぶたが下りて上がる。眉間にしわ。おれはいつもおまえをナンバーワンにはしてやれない。綾瀬は口を尖らせるけれど、それはなんでもない時のくせだ。
続きを待っている。おれが手も目も離さないから。開きっぱなしの電子辞書が、一定時間を過ぎたせいで画面を落とす。冷え性らしく、かれの皮ふはひやりとしていた。おれの手には熱。

「でも必要なのはおまえだよ。おまえのことは絶対必要なんだよ。忘れるな」

ナンバーワンじゃなくても、なんかと比べて最下位になったって、そのランキングとはべつにおれの必需品リストがあるのだ。
勉強するために、仕事をするために、生きるために、必要なリスト。マイ枕じゃなきゃ寝られない、綾瀬じゃなくちゃ落ち着かない。ランキング内容を綾瀬不動の一位なおれの愛情ランキングから勝手に変えて、優先度とかかわいさとかで負けたって、諦められちゃあたまらない。
突然の告白に、綾瀬は喜ぶでもなく照れるでもなく、悔しそうな顔をした。尖らせた唇は今度はハッキリ意味を持っている。勉強優先だといったからじゃないのは明白だった。
おれはその顔に満足して、足を離してもう半分以下の麦茶を手にとる。綾瀬のほうのコップはほとんど入れたときのままだ。蝉が鳴いている。エアコンはまたいつのまにか静かになっていた。
そして机の水溜りが広がって、おれの手を濡らす水滴が染み込むのはおれの服ではなかった。
ぱさり雑紙は閉じられて、床にそのまま置かれたのだった。