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創作ごった煮
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一年以上ぶりに。世界線と膜について







高校生の世界は閉じられている、とか、狭い世界だ、というような言い方があるけれど、じゃあ広い世界というのはなんなんだろうと思う。高校なんてせまい場所しか知らない、というのに、大人だからと言ってそんなにいろいろな場所や思考を知っているわけじゃないと思う。
人間は膜で囲まれている。細胞膜の中にいる核みたいに。それで、昔は不透明だったそれが、時間がたつとどんどん透明になっていくんだと思う。
高校生くらいだと、半透明で、なんとなく人が居て色が付いた影があるようにしか見えない時期なのだ。透明になってしまった大人は、その磨り硝子みたいな半透明の、表情や年や、膜の内側を想像する力があって、膜の存在がよくわかってしまう高校生、気にとめられるほどに認識できる膜の中の存在について、「そんな狭い膜の中に居て」と思う。けれど透明になっても、大人の世界だってほんとうは膜一枚に隔てられた狭い場所なのだ。
こどもは透明になっていく膜の中で、見られることや見ることを意識して、膜の内側を片づけていく。膜の内側は、人間の意識とか内面とかじゃあない。ただ認識する世界線が膜であって、核の外側から核の内側は見えない。
膜同士は、接触した部分の透明度が増すものかもしれない。接触して、接触して、それなら大人というのはそれ自体透明になっていく膜がさらに接触してしまって見えなくなるから、見えないものは存在しないようなものと言ってもいいのかもしれない。でも触れるものだろうと思う。膜はふだん一定の距離を保っているけれど、触れないものではないだろうと。
膜は汚れるのだろうか。汚せるとは思う。自分の膜を汚して、他人の膜に接させておけば、そのひとの膜が汚れてなくても周りは汚れて見える。汚してみなよとそそのかしたりもできるだろうし、透明になっていくけれど、透明なままであるかどうかはわからない。
高校生の膜が半透明な話に戻る。
高校生の膜は半透明で、透明な









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