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創作ごった煮
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なるほどなあ、と思った。準備がいい。カラスがひび割れた声を上げても、木々が不気味にざわめくようになっても、タカは冷静にランドセルの肩ベルトを握っていた。

最近はランドセルの色数も増えたが、いつか趣味が変わるだろうと定番を選んだ。その肩ベルトには、防犯ブザーが取り付けられている。
タカの目の前には、黒い三つ揃いのスーツを着込んだ男が立っていた。太っているが、ぶよぶよした印象はなく、ぱんぱんに膨れた風船のように見える。そこにグレーの毛羽立ったフェルト帽。男はにこにこと笑って、タカの目の前に立っている。縦にも横にもタカの三倍はありそうだった。
男は太陽側に立っていて、街灯から少し離れたこの場所では顔も影に隠れていた。もともとあまり人の顔を覚えられない質ではあるが、こんなふうでは不審者の特徴も言えないだろう。男はタカの返答を待っていた。男はタカに名前を聞いたのだ。

「タカ」

準備がいい、と思ったのは、昨年他界した祖母に対してだった。祖母は何度もこう口にした、逢魔が時に名前を尋ねられたらタカと答えなさいと。けして本名を言ってはいけないと。タカの本名には、「タ」も「カ」も入っていない。どこから来た名称なのか母親に尋ねてみれば、祖母の旧姓はミタカと言った。名前はそこから来たのだろう。
物心ついた時から言われていた言いつけを、使うことになるのははじめてだった。逢魔が時の外出は避けるようにしていた。タカは小学四年生だが、逢魔が時の意味は知っている。
男はニコリと顔面の皺を深くし、「タカちゃん」と呼んだ。父親の声に似ている気がした。タカはどうしようか少し考えて、祖母は名前を聞いてきた相手と話すなとは言っていなかったなと思い至った。タカの通学路は信号もない住宅街の間を抜ける。いつもなら、買い物に出たおばちゃんや犬の散歩をするお兄さんが通っているだろう。カラスが鳴いていた。タカは男の顔を見上げた。首はほとんど上を向く。

「あなたの名前は?」
「そんなこといいだろう。タカちゃん、おいで。」
「だめ、知らないひとについていっちゃいけないんだ。」
「大丈夫、大丈夫。」

おかしもあるよ、玉乗りをするゾウや火の輪をくぐるライオンや、ジャグリングをするサルだっている。男の誘い文句のなにが大丈夫なのかわからずに首を傾げたが、ジャグリングをするサルは気になる。祖母は、ついていってはいけないと言っただろうか……。
男の背後には、もう闇陰が迫ってきていた。逢魔が時が終わる。どろどろに溶けた左目の瞼の下からチロチロと舌を出していたヘビの模様がだんだんとはっきりしてきた。目も、夜に慣れてきてしまった。
ついていってはいけないと、誰にも言われた覚えはない。タカは帰れる名前なのだ、とかなんとか言っていた気がする。
行ってもいいが、明日にしてくれ。そう告げようとタカが口を開いた瞬間、男の背後の角に車が現れてかれを強い光で照らした。
まるで遮るもののない光を直接当てられて、タカは男の姿を見失う。ゾウもライオンも、サルすら見損ねた。それならそれでいい、白い乗用車が通るので道の端に避けて空の端を見上げた。
逢魔が時は、山の向こうへ移動しきっていた。



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